ありがとうございました。
私事ではございますが、来月1月に那覇市から千葉県に引っ越しをすることになりました。
娘(42歳)の癌が発覚し、先月急遽手術となりました。
今は抗がん剤の治療を行っています。
約8年前の定年退職後、東京のマンションを売却し那覇市のマンションを購入。
終の棲家と思い沖縄への移住をしましたが、まさかの展開で本土へのリターンとなりました。
娘家族の家が千葉県ですので、那覇市のマンションを売却し千葉県のマンション購入手続きを終えました。
組合活動の経験もなく、沖縄に来てからの辺野古・高江・安和桟橋そして塩川港での抗議活動への参加でした。
沖縄へ来た年の暮れに、当時の仲井真知事による
"良い正月を迎える事が出来る"
発言のもとになった3000億円の約束が、今日の新聞記事1面の状況へと、変わりつつあります。
昔からの戦法である
"兵糧攻め"
に、政府は方針を変えたようです。
蛇の生殺しで、沖縄県民の様子を探るのです。
人参の欲しい者から脱落をしていきます。
私の好きな瀬長島も変わりました。
ウミカジテラスが整い、那覇空港第二滑走路も出来上がりました。
PARCO前の浦添西海岸も変わってしまうのかも知れません。
自分はデラシネであると自認をしていましたが、娘への思いが娘を選る事となりました。
ブログをいままで読んでいただいて、本当にありがとうございました。
完全勝利。
昨日の八重岳での自衛隊演習阻止は、完全勝利であった。
リーダーによる正しい予測と判断が、この勝利を呼び込んだ。
通行車輌を止めることは、道交法への違反となる。しかし、その通行車輌がそれ以前に法を犯しているのであれば、そちらへの措置が優先される。
この写真は一昨日の午前中の写真である。
10人ほどの有志は、そのまた前日の夜には現地に集まり、寒い夜を車中で過ごした。
私は一昨日の朝6時半頃現地に到着したのであるが、すでに20人近くの市民が集まっていた。
今年一番の寒さの中、曇った空を見上げながらの自衛隊車輌待ちの時間が続いた。
結局この日は自衛隊が来ない事を確認して、昼過ぎに解散となった。
ただ、市民が集まっていた事により自衛隊車輌が躊躇したのは確かであった。
我々としてはその事を一つの成果として評価をし、翌日の行動に繋げていった。
残念ながら、私は昨日は参加をしていないため現地での勝利感を一緒に味わうことが、出来なかった。
八重岳の桜は知っていたが、沖縄戦における八重岳での悲劇は知らなかった。
この悲劇を知った上で、本部町の方々は行動を起こしていた。
まだまだ認識不足・知識不足のヤマトンチュである。
完全勝利。
昨日の八重岳での自衛隊演習阻止は、完全勝利であった。
リーダーによる正しい予測と判断が、この勝利を呼び込んだ。
通行車輌を止めることは、道交法への違反となる。しかし、その通行車輌がそれ以前に法を犯しているのであれば、そちらへの措置が優先される。
この写真は一昨日の午前中の写真である。
10人ほどの有志は、そのまた前日の夜には現地に集まり、寒い夜を車中で過ごした。
私は一昨日の朝6時半頃現地に到着したのであるが、すでに20人近くの市民が集まっていた。
今年一番の寒さの中、曇った空を見上げながらの自衛隊車輌待ちの時間が続いた。
結局この日は自衛隊が来ない事を確認して、昼過ぎに解散となった。
ただ、市民が集まっていた事により自衛隊車輌が躊躇したのは確かであった。
我々としてはその事を一つの成果として評価をし、翌日の行動に繋げていった。
残念ながら、私は昨日は参加をしていないため現地での勝利感を一緒に味わうことが、出来なかった。
八重岳の桜は知っていたが、沖縄戦における八重岳での悲劇は知らなかった。
この悲劇を知った上で、本部町の方々は行動を起こしていた。
まだまだ認識不足・知識不足のヤマトンチュである。
騙される。
今日17日は安和桟橋も塩川港も、外ダンプの搬入はなかった。
ただ、安和桟橋構内に山積みされた土砂はダンプ3000台分の量は有ろうか、という状況である。
構内の内ダンプは動き回り、ベルトコンベアに土砂を吐き出し、その土砂はガット船に落とされる。
写真は悠々と桟橋を離れていく船の姿である。
この後、もう一船桟橋に着桟し土砂を積み12時前に出ていった。
安和桟橋構内には、まだまだ十分土砂が残っている。
今日早朝、安和桟橋も塩川港も外ダンプ作業は無いだろう、との連絡が入っていた。
しかし一昨日の月曜日に、騙し討ちがあった。
午前中作業もなく、やがて警備のテイケイが去り、機動隊も去って行ったのを確認して、抗議する市民は安和桟橋の現場を去った。
なんとその1時間後に、外ダンプ作業が始まったのである。
塩川港のダンプ作業も同時に始まった。
騙し討ちである。
この事もあり、今日は現場に監視の方が張り付いていた。
結局、午後になっても外ダンプの搬入はなかった。
塩川港も無かった。
一度騙されると、疑心暗鬼となる。
現場には、困惑と怒りが残された。
騙すほうが悪いのか。
騙されるほうが悪いのか。
先日の宮古島へのミサイル実弾配備を思い出す。
島民の頼みとした市長は平良港の使用許可を出した。
騙し討ちである。
市長選での公約を、
信じたほうが悪いのか。
信じさせたほうが悪いのか。
何れにしてもそこに残されたものは、
疑心暗鬼と困惑と怒りである。
塩川港にはまだ軽石が、さまよっている。
宮古島ミサイル配備。
宮古島に、ミサイルの実弾が搬入された。
宮古島の平良港から市街を抜けて、保良の武器庫まで、堂々と運び込まれた。
写真をよく見ていただきたい。
市街の大通りを真っ昼間に通りすぎる、ミサイル運搬の車輌群にたいし、反対をする市民が沿道には一人もいない。
平良港の早朝および保良の弾薬庫に集まり、反対のシュプレヒコールとダイイング・メッセージを送り、そして座り込みを行いごぼう抜きされた市民は、おおよそ40名程であった。
たったの40名である。
この事実に、衝撃をうける。
誰もいない沿道と僅かな抗議者たち。
街中を実弾ミサイルが運ばれたのである。
これ以上の屈辱は無いと思うが、粛々と武器は運ばれたのである。
座喜味一幸市長は、選挙において
"住民の合意形成のないミサイル配備については反対をする"
と言って当選をした。
座喜味市長はこの写真を見て、
"住民の合意形成はなされたのだ、沿道には一人も反対者がいない。私の判断は正しかったのだ。"
と思ったのだろうか。
残念なことにこの写真を見ていると、
"住民の合意形成がなされているように見える"
のである。
まったく、白昼夢を見ているようである。
保良の弾薬庫の前で、小さな娘と抱き合いながら必死に抵抗をしていた母娘がいた。
機動隊からではなく、自衛隊の隊員から座り込みに対する排除の言葉をかけられた、日本人として初めての母娘ではなかろうか。
自衛隊も偉くなったものである。
道交法違反として、座り込みをご注意下さったのである。
そのうち、戦車の上からご命令を御掛けになるのであろうか。
玉城デニー知事は、搬入の進め方に理解を示している。
翌日慌てて、容認したわけではないなどと釈明をしているが、その慌てた姿に県民は失望するであろう。
オール沖縄の、
"この指止まれ"
に熱狂を持って集まったのであるが、今は
"この指"
が違ってしまったかの様に思える。
泣き言は、言わない。
当たり前の話である。
衆議院選挙で沖縄の議員数を伸ばした与党に、相手を思いやる気持ちなどは微塵もない。
今まで通りの細かい嫌がらせは更に続く。
今流行りの、デカップリングである。
県民の分断の先に、与党の沖縄県政奪還の夢が横たわるのである。
玉城デニー知事による、三年にわたる県政の実績を与党は見ている。
実質実績がゼロに近い玉城県政にトドメを刺すのが、辺野古新基地建設の見せ掛け進捗率である。
崖の上に馬を置いて、人参を目の前にぶら下げるような露骨な事を、これからも手を変え品を変えやって来るのであろう。
逃げ場をなくして見せ金で誘ってくる。
かりゆしも、かねひでも去って行った。
崖っぷちの馬は、人参に飛び付いた。
沖縄は、大した見返りのない与党と言う仮想国の冊封体制に、膝を屈して利を請うのだろうか。
焼けた首里城の跡に建つのは、矮小化された国会議事堂なのだろうか。
リーダー不在の弊害は、沖縄全体の軟弱地盤化となって沖縄の沈下を誘引する。
軽石。
今日の塩川港も作業は無かった。
ガラーンとした塩川港内は、静かである。
岸壁から見える海面に、軽石の流れが見て取れる。
台風と軽石で、安和桟橋・塩川港の作業が止まる。
台風は一過性であるが、軽石は留まり堆積をする。
作業も止めるが、漁船も定期船も止める。
痛し痒し、である。
辺野古浜テント前の海岸である。
様相が変わってしまっている。
話は変わる。
名護市長選が来年早々にある。
岸本洋平氏に、軽石ほどの辺野古新基地建設阻止能力のあることを、願う。
ふわふわとした、軽石のような印象のある岸本洋平氏が、実際は大きな岩となって名護市をしっかりと守り、新基地建設の障害となっていただきたい。
蛇足であるが、先日所用で東京に行った際の飛行機からの虹である。
つい、いろいろな事に願掛けをしてしまった。