距離感

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(塩川港の台船を移動させるプッシャーバージの吐き出す黒煙)


東京は寒い。

沖縄とは全く違う寒さである。

物理的な距離感を感じる。

 

いつも不思議なのであるが、東京にいると東京に染まってしまう。

沖縄に帰ると、沖縄に染まってしまう。

染まるというよりも、馴染むと言ったほうが正しいかもしれない。

 

沖縄での生活ももう少しで丸7年になる。

60年間、東京で生まれ育ったが今は東京に”行く”であり、沖縄に”帰る”感覚である。


そうではあっても、羽田に行きバス・電車に乗ったとたんに東京に馴染む。

逆に、沖縄に着いた後は那覇空港からタクシーに乗った瞬間から沖縄に馴染むのである。

 

東京にいると沖縄の情報は全くない。

東京の家族・友人は全く沖縄の問題に興味はない。

玉城デニー知事の名前すら知らないのが”普通”である。

 

圧倒的に発信が少ないのである。

受信する能力のない者に対しては、圧倒的な発信が必要となる。

 

銀座にある沖縄のアンテナショップに、基地問題は掲げられてはいない。

そこには幸せな沖縄の商品が山積みされているだけである。


沖縄の苦しみは、欠片もない。


おいしいものを食べて、泡盛を飲んで、楽しくカチャーシーを踊っている幸せな県民しか提示されてはいない。

沖縄の裏は見えない。

 

物理的な距離感が、自虐的な思いをさせる。

物理的な距離感が、精神的な距離感を増長させる。


沖縄は遠くなりにけり。

東京にいると、一瞬感じる。

 

観光立国を目指す沖縄県が、本土に見せる姿はどういうものであるべきなのか?

難しい。


基地経済に頼ることの少なくなった沖縄経済が、より自立するための基地返還運動をどのように本土の人に見せるのか、分からせるのか?

難しい。