宮古島ミサイル配備。

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宮古島に、ミサイルの実弾が搬入された。

宮古島平良港から市街を抜けて、保良の武器庫まで、堂々と運び込まれた。

写真をよく見ていただきたい。
市街の大通りを真っ昼間に通りすぎる、ミサイル運搬の車輌群にたいし、反対をする市民が沿道には一人もいない。

平良港の早朝および保良の弾薬庫に集まり、反対のシュプレヒコールダイイング・メッセージを送り、そして座り込みを行いごぼう抜きされた市民は、おおよそ40名程であった。

たったの40名である。

この事実に、衝撃をうける。
誰もいない沿道と僅かな抗議者たち。

街中を実弾ミサイルが運ばれたのである。
これ以上の屈辱は無いと思うが、粛々と武器は運ばれたのである。

座喜味一幸市長は、選挙において
"住民の合意形成のないミサイル配備については反対をする"
と言って当選をした。

座喜味市長はこの写真を見て、
"住民の合意形成はなされたのだ、沿道には一人も反対者がいない。私の判断は正しかったのだ。"
と思ったのだろうか。


残念なことにこの写真を見ていると、
"住民の合意形成がなされているように見える"
のである。

まったく、白昼夢を見ているようである。

保良の弾薬庫の前で、小さな娘と抱き合いながら必死に抵抗をしていた母娘がいた。

機動隊からではなく、自衛隊の隊員から座り込みに対する排除の言葉をかけられた、日本人として初めての母娘ではなかろうか。

自衛隊も偉くなったものである。
道交法違反として、座り込みをご注意下さったのである。

そのうち、戦車の上からご命令を御掛けになるのであろうか。

玉城デニー知事は、搬入の進め方に理解を示している。
翌日慌てて、容認したわけではないなどと釈明をしているが、その慌てた姿に県民は失望するであろう。

オール沖縄の、
"この指止まれ"
に熱狂を持って集まったのであるが、今は
"この指" 
が違ってしまったかの様に思える。