今年最初の辺野古
今日辺野古に行ってきた。
本来であれば、辺野古ではなく安和桟橋・塩川港へ行くのであるが、朝方にメールが入り”安和桟橋・塩川動きなし”の連絡があった。
急遽、辺野古に行き先を変え、宜野湾インターで降り辺野古に向かった。
天気は晴れ模様から、急激に曇りそして小雨と変わっていった。
浜テントは1月11日まで監視行動を中止している。
9時からのキャンプシュワブゲートからの搬入・12時からの搬入ともにダンプ・トラックの台数は少なかった。ミキサー車は一台もない。
ゲート前の抗議行動は、新型コロナへの対策で一切機動隊との接触の無いように指導されている。
自分の座り込んでる周りに機動隊が取り囲んだ時点で、自ら立ち上がり座り込みを中止する。ここでも阻止行動ではなく、抗議行動を行っているのである。
今月から警備は、帝警に変わりアルソックである。マスクをしっかりつけている点は褒められるか。
安和桟橋の構内にあった土砂の山(在庫)は無なくなり、貨物船も着桟していない。
塩川港にも、台船の姿は見えず数人の釣り人がいるだけである。
これが本来の姿・景色なのである。
この何もない景色に、違和感を覚えるこちらがおかしいのであるが、我々がおかしくされてしまっているのである。日常感の変節である。
浦添西海岸もそうである。
知らぬ間に軍港が出来、軍艦が出入りしそれが日常と化す。
違和感を忘れさせられる。
いやその前に、軍港の工事が始まりダンプ・トラックが列をなして工事を行う。それが日常と化す。
月に1度でもいい。
辺野古・安和桟橋・塩川に来れば、日常の何たるかを比較・確認ができる。
浦添西海岸の最悪の未来が、バーチャルではなく現実空間として目の前に広がり、実感することが出来る。
すべては繋がっているのである。
浜テントからの景色は、平島・長島がテトラポットと土砂の積み上げで、全く見えなくなっていた。
明日は我が身のカーミージーである。
刮目せよ、浦添市民。