言葉の重み
(最近、県庁の建物に威圧感を感じる)
糸満市米須の「魂魄の塔」近くの鉱山を視察した、玉城デニー知事は
”実際に骨片を手に取ってみると、ここをどうしようか、という思いで頭も胸もいっぱいになった。”
と述べたそうである。
思いを吐露したとの表現であった。
それはそれでいい。
しかし、思うだけであるならば誰でもできる。
また、誰でもそう思うのが普通である。
大事なことは権限を持った人間がどのような決断を見せるか、である。
何のために自分は、沖縄県知事に選ばれたのか?
よくよく考えたほうがいい。
思いでいっぱいになった、と言う
"言葉の重み"
を噛みしめていただきたい。
具志堅氏はハンスト5日目となった今日も、しっかりとされていた。
毎日様々な方々が応援に来てくれる。
それらの方への対応だけでもかなりな負担である。
しかし自ら広告塔となり沖縄戦遺骨の問題を提示し、ある意味その”責任”を全うしようとしている姿に心を打たれる。
(今日の具志堅さん)
具志堅さんは、ハンストに臨んでも決死の覚悟などと言う堅苦しいものではなく、それこそ、”柔らかく”事をなしているように見える。
気は張っている筈だが、気張っているようには見えない。
いゃ、見せていない。