辺野古設計変更申請

沖縄防衛局は、昨日早朝8:30分に変更承認申請を行った。


県北部土木事務所は、コロナ感染拡大防止のため在宅勤務者もいるため、職員は少ない。その事務所に突然訪れた。


思えば2011年12月28日午前4時!に、年末の役所仕事納め直前のタイミングで、防衛庁は環境影響評価(アセスメント)手続きの評価書を県庁守衛室に搬入をしている。段ボールを置いていく。

これにより反発をした県民が県庁に押し寄せ、混乱を生じさせた。

 

この時の政権は民主党である。野田首相の時代である。

防衛大臣一川保夫であった。三重大学農学部卒の農林水産省出身者である。この経歴の者が防衛大臣をやっていたのである。『私は防衛に関しては素人だ』、と言ってのけた人物である。


彼は、2011年12月1日の参議院特別委員会で、1995年のアメリ海兵隊員らによる米兵少女暴行事件について「正確な中身を詳細には知らない」と答弁し、あろうことか翌日の記者会見では、少女暴行事件を少女「乱交」事件と発言してしまったような人物なのである。

 

話をもとに戻す。

要するに今までの政権は、日米安保を堅持する以上自民党であれ民主党であれ、やったことは同じということである。

嫌がらせも変わらない。今回はコロナ汚染対策下での行為である。

 

嫌がらせを行う者は、相手が嫌がる状態を楽しむ。

玉城知事は不快感を表明したが相手の術中に嵌まっている。


冷静な口調で、

『”馬鹿”な申請書ではあるが、確かに受け取った。精査したうえで”まともな”回答をする。』

くらいの対応をして欲しかった気もする。